一人称が変わります

光は手に入らない世界で

 人が死ぬことに、慣れたわけではないのに、SNSに流れてくる自分より下の学生の極端な選択の数々が目に入る。星になったわけでもないのに、鳥になったわけでも、風になったわけでもないのに、私たちは自然の中に誰かを見出そうとする。冥福を祈るなんていう言葉だけで全ては流れていく。水の中にある羽はその形を変えて海へと流れていく。君の名前を知らないままで、いつか記憶の隅に溶けてしまうかもしれないけれど、小さな鈴の音を脳裏に焼き付けておきたい。いつも私の頭の中では鈴の音が鳴っている。名前を知らないまま、その鈴の音を聞く。

 

 自殺未遂をしたことはない。死ぬ勇気がでたことがない。情動に身を任せたくなっても、死ぬよりも誰かに今すぐ抱き締めてほしいと願う気持ちの方が大きかった。こっちもまともじゃない気がする。いつでもどこかで、本当にダメだったら全部死んで終わらせたらいいんだ、と思っている。死を忘れることなどない、厨二病みたいだけど、ずっとそう感じている。でも20年生きてみて、死ねるなら早いうちに死んじゃったほうが良かったかも。これはあくまでも個人的な感想。大丈夫、私は死んだりしないから。

 中学生の頃、自分と同い年の人や年上の人が自殺したり自殺未遂したりするTLを眺めていた。みんななんとなく、光を手に入れられないと知っているようだった。諦めた、ともいえるかもしれないけれど、その諦めを責められる人は誰もいないはず。自分たちより年上の人間がその立場を利用して自分をいいように扱おうとする姿も、家族に否定されることも、何もかもつらさだけが身体に残る。助けてと言って助けられるほど美しい世界なんかじゃないんだよ。好きだった絵を描くあの人はフローリングに自分の血で絵を描いて親しい友達であげていた。アカウントを消してしまったから、もうどこにいるのかも生きているのかも知らないけれど、私はあなたのことが好きでしたすごく大切だった。会ったこともないのに。

 

 私たちは言わないだけで、もうどうしようもないほどの苦しみや痛みを抱えている。私たちはずっと一人ぼっちみたいだった。ずっと孤独の砂漠を抱えている。どれだけ水をやっても、雨が降っても、水たまりひとつできないような砂漠を誰かにみせられるわけでもなく、救いを求めても水すらないときだってある。それでも誰かに縋ったりしていないともう立ち上がりすらできなかった。街灯も昔はあったかも、でも手元のロウソクの火も心もとない。強い風が吹くと消えてしまいそうだった。まっくらで冷えた夜を過ごして、灼熱の避けられない世界で歩みを進める。戻らない日々に感謝して、焦がれて、苦しんで、夢を見ながらその寒さを乗り越えることを、どうして当たり前だというのだろう。孤独を愛することができる世界じゃない。簡単に誰かと繋がることができる世界で、それすらもうまくいかないことに不安になって、焦って、呼吸が浅くなる。君はどこ、と言いたくてもその「君」はどこにいっても見つからない存在なんだってことも私は薄々気づいている。

 

 光が見えてもそれを頼りに歩むこともできない日々で、かすかなともしびだけを抱きしめて息をする。どこにも行けない日々というのは案外、間違っていない。私たちがいけるのは地獄だけなのかもしれない。

 夏の匂いがする、空の青さにのみ込まれて、泡沫に誰かの歌声を聴く。夢でなら会える気がする、もう少しだけ待って。死ぬのは怖いままだ、誰かに置いて行かれるのも、怖いままなんだ、もう少しだけ、あと少し、消えない光はないけど、君を探す光を手に入れてくるから、こんな世界だけど。