一人称が変わります

覚書🍉(あの子へ)

今の自分の感覚を理解されたいなんて思わない。ただ、なんでこういうことをし続けているのかということをもっとちゃんと考えろよ、と思う。正直、今回のことに関して無関心な人とこれ以上関係を持つのは厳しいなと思っている。だってもう、お互い幸せじゃないでしょう。

パレスチナの人々の今を知るために、SNSに残し続けてくれる、ガザにいる多くのジャーナリストのアカウントの共有をし続けている。向こうに行きたいかって?行きたいよ、行けるものならね。でも言語能力も自分を守る手段も持っていない自分がもし行けたとしても、ただ邪魔なだけだ。無駄な労力を使わせて被害を拡大させることしかできない。(私がやっていることが周りにストレスを与えることだから鬱陶しいと、そんなことを日本でしたとしても無駄なことだと言いたかったのだろうか。意識高い自慢かよ、と言われたことがあるけれど、この程度で意識が高いなら君の人権意識がとても低いということでしかないだろう、と今なら感じる。)

だからここでやめろと言い続けているし、学んで署名してデモに参加した。パレスチナだけじゃない、世界中で、日本でさえも、他者の人権を踏んでいくことを、大義名分によって押し通そうとする人たちがいる。ウクライナへの侵攻は辛くて悲しいと嘆いたくせに、ロヒンギャへの迫害も、新疆ウイグル自治区におけるウイグル人の収容と人権問題も、クルド人への迫害も、私たちは無関心だったでしょう。もっと身近に?在日コリアンへの多くのヘイト、ミックスルーツの人々への差別発言に対して関心を向けていた?日本の入国管理局で収容される人たちは医療を受ける権利も、尊厳も奪われていますが、皆さんは関心を向けていましたか?その理由は何?私だってどうにかなりそうなくらい反省している、後悔している、無関心であったことを恥に思っている。だからこういうことを言うんだけれど、これも偉そうなことをいうバカになるのだろうか。

ガザは天井のない刑務所ではない。強制収容所だよ。生まれてたった7日の赤子に何の罪があるんですか。崩れて何があったかもわからない、その下には人が埋まっているかもしれない場所で、その瓦礫の中から出てきたアイドルの写真。その人を好きだった誰かがいたということ、そうやって、誰かの生活の場で、微かな希望を探して行き続けた場所で、今虐殺が行われているということ。毎日毎日、家族が死ぬ、明日は自分かもしれない次の瞬間には君がいないかもしれない、自分は死ぬかもしれない、希望なんて見えなくて、助けを求めても目を逸らされて、なかったことにされる、そういう世界が、プロットに沿った何かの物語やリアリティを追求した恋愛番組ではなく、実際に起きていることであるという感覚を持って欲しい。私たちは、伸ばされたはずの手を叩き落して、何を手に入れようとしているんですか。人を殺すお金になるかもしれないと、マクドもスタバも行かなくなった。淡々とボイコットをしている。Coca-Colaもペプシも買わない、飲まない。M.A.Cのリップを使うのをやめた。多くのことを誘われて断る時に、相手に線引きをされたな、という感覚がある。「そんなことをしたって」という言葉にされなかった冷笑とか。今更遅いよ、遅いんだよ全部、こうなる前に目を逸らすことなく向き合って、声を上げなくてはいけなかった。でもそれをしなかったから、こうなってる。今からでもできることをするしかないというのはそんなにおかしなことだったのだろうか。人が死ぬのは嫌だと思うことはそんなにも愚かで夢見がちな話だろうか。瓦礫の、コンクリートが砕けた粉が身体中に張り付いていて、半開きになった唇は色がなかった。大人に横に抱かれた白い布の中の子どもは、その死んだ子どもたちは何か罪を犯しましたか。ねぇ、ただパレスチナ人に罪があると?ハマスの行った国際法に反する行為は責められるべきであるかもしれない、じゃあそれまでにイスラエルが行い続けたパレスチナ自治区に住む多くの人々に対する残虐な行為は?ハマスの行為のように、多くの国から責められていましたか?パレスチナ人の若者の足を狙って肉も骨も断つような弾を使ったイスラエルを批判しましましたか?医療スタッフをも殺したことを批判しましたか?難民キャンプを爆撃したイスラエルを批判した人はいますか?病院を攻撃したことを批判した国はどれだけありますか?毎日毎日上げられる人の死体を、崩れた建物の残骸を、道路の上に乾いた血と人が落ちていることに対して、なにも感じない?それでも生きている人々の続く生活を、私たちは他人のフィクションとして捉えますか?それとも「ああ、かわいそうだね」と終わらせた?宗教戦争なんだから仕方がないねと?憎悪の応酬であると、そう思ってすべて自分の生活から切り離して自分たちの楽しみに目を向けていれば良いと。そうやって生きることが幸福だと、だから無関心でいても良い、見ているだけでいい、だって無力だから。そういうことですか?

私もどうしたらいいかわかんないよ。わかんないからこんなふうになってんだよ。わかってたらこんなふうに周りに言わない。もっとちゃんと整理して言えたはず、でも無理だった。本当に無理だった。俺はスタバのドリンクもフードも好きだし、スタバ飲みながら誰かと話したり、新しい話題ができたり、そういういい思い出も良かったこともたくさんあるし、スタバでバイトしてる周りの人が悪人だとも思わない。マクドだってそう。M.A.Cも。でも、自分のつけたリップの色が、人間の血みたいに思えて嫌になるんだよ。美味しくて幸せな気持ちになるけど、誰かの命を奪って地獄を作ろうとするんだって思うようになったんだよ。好きだよ、好きだったから買ってたんだよ。でも、ボイコットしないと、って。しないと、私の声は本当になかったことにされるんだって思ったらボイコットするしかない。知らない人に車の中から「迷惑かけんな」って怒鳴られても声上げてデモするしかない。バカにされるのがおかしいんだって信じてやるしかないって。人権問題だから、自分が目を逸らして黙って、無関心でいて見捨てた多くの人たちと、向き合わないといけないって思うから。日本でできることなんて、イスラエル大使館や外相の事務所に講義FAX送って、参加できるアクションにはデモでもボイコットでも参加して、勉強して、他に見落としてることがないか考えて、署名して、そうやってやるしかないって思ってる。もし、他にできることがあるなら教えて欲しい。視野が閉じてる実感がある。でも、なによりも、自分たちの国が植民地支配を行った国で、他民族のアイデンティティを奪った、文化を壊したという過去を持っているからこそ、絶対イスラエルのやった民族虐殺を許さない。絶対許したらダメなんだよ、そうじゃないと日本人として恥ずかしいの、私が。何も学んでないのとおんなじじゃん。それで、自分たちが植民地支配をした国に行って、した場所に行って、「日本人」という型に無理やり当てはめて文化を奪ったのに、その場所の文化の綺麗なところだけをみて都合よく解釈していいと思ってるの?って思うんだよ。自分に対しても。気付いたのが遅かったってずっと思ってる。申し訳なくて後ろめたくてしんどくて悔しくてやりきれなくてたまらないよ、でもだからこそ、それを言い訳にするのは違う。学んで進むしかないし向き合うしかないし、責任を果たすべきものは果たすために努めなくちゃいけないはず。だからイスラエルのやってることを絶対に許しちゃいけないし、イスラエルに賛同する日本政府も絶対に許さない。自分にできることをやります。

 


日本含む多くの国がパレスチナに支援をしていなかったわけじゃない。今必死で人の命を繋いでるインドネシア病院も、インドネシアの支援によって建てられたもの。だけどそれを破壊されてる。人道支援を繰り返しても、また破壊されたなら意味がない。文化センターだってあった。楽器を弾く人もいて、文化を持ってた。絵を描く人だってもちろんいた、そりゃそうでしょ。でもそれを壊したのもイスラエルだよ。虐殺することを良いものとしてイスラエル軍の偉い人は言うんだよ。

 

 

良い未来のために、最善のための努力を。

私たち現代世代が未来世代の多くの選択肢を育むことを忘れないで欲しい。その責任を負いながら、私たちは生きるしかないんだよ。

携えているのは何

2023.10.24-

 昨日、パレスチナイスラエルについての緊急セミナーを受けて、そして先週受けた大学の講義の内容、自分の周りにあるすべてのことについて、なんとなく誰かに話したくなった。

これを書いているのは、誰でもいいから、読んでほしいという気持ちからだ。

 

 昨日、ガザについてのセミナーを受けていたのは、電車の中でだった。となりの会社員のような人は誰かの引退会見を見ていた。スマホ片手にメモを取る自分を異質なもののように見る視線を感じた。ふと顔を上げると、不思議そうにこちらを見ていた人がいた。他人だから、まったく関心を向けられないこともあった。みんなそれぞれに、別のことを考えて生きている、そういう日常の中を通り過ぎていく。

 ふとした瞬間に思い出してはどうしようもなくて泣いて、夜はうまく眠れないような日々を過ごしている自分と、社会は違うんだな、とぼんやり思った。

テレビでガザのニュースが流れるたびに、「燃料が軒並み上がるかもな、困るよ」とか「日本じゃなくてよかった」とか「宗教って怖いな」とか、そういうことを自分よりも年上の大人たちが言っているのを、バイト中にずっと聞いていた。

 

 店長はこう言った。「やっぱり平和なんかじゃないねん、人間は本能的に戦う生き物なんやから。争うのは仕方ない。最近の若者はきれいごとばっかりや、何も現実を知らん」「弱い奴は死んでも仕方ない、弱いんやから」「やっぱり最近の教育が悪いね」

 

 うん、このバイトはやめるつもり。セクシストでレイシストであると言うことは知っていたけれど、ここまで来てしまったら、働きたくないな、と思った。今年中にこのバイトとは別れを告げようと思う。だってその世界では、私は生きられない。私は世界が平和であってほしいとか、何も悪いことをしていない子どもが死んでしまうこと、家族を奪われること、人々が尊厳を奪われることが、許せないし、それは許してはいけないと思う。

 

歩きながら、異質な邪魔なものとしてみる多くの人たちの視線を受けた。ここにいるのがおかしいとでもいいそうな表情でこちらを見る人たち。笑いながら、指さしてくる人たち。私は間違ってなんていないのに、どうして私たちはおかしい存在のようにあつかわれるのだろう。君の家族がそこにいたなら、その家族がなんの罪もないのにただ殺されていく様を、どうしてただじっとして黙っていられると思うのだろう。絶対にそんなことできない。自分たちの生きる世界が、人間を人間として認めない国際社会であることを、絶対に許してはだめだと思う。

 

なぜ歩いているかわかる?人殺しになりたくないからだよ。なぜこんな話をするかわかる?君に人を見殺しにすることをして欲しくないからだよ。

光は手に入らない世界で

 人が死ぬことに、慣れたわけではないのに、SNSに流れてくる自分より下の学生の極端な選択の数々が目に入る。星になったわけでもないのに、鳥になったわけでも、風になったわけでもないのに、私たちは自然の中に誰かを見出そうとする。冥福を祈るなんていう言葉だけで全ては流れていく。水の中にある羽はその形を変えて海へと流れていく。君の名前を知らないままで、いつか記憶の隅に溶けてしまうかもしれないけれど、小さな鈴の音を脳裏に焼き付けておきたい。いつも私の頭の中では鈴の音が鳴っている。名前を知らないまま、その鈴の音を聞く。

 

 自殺未遂をしたことはない。死ぬ勇気がでたことがない。情動に身を任せたくなっても、死ぬよりも誰かに今すぐ抱き締めてほしいと願う気持ちの方が大きかった。こっちもまともじゃない気がする。いつでもどこかで、本当にダメだったら全部死んで終わらせたらいいんだ、と思っている。死を忘れることなどない、厨二病みたいだけど、ずっとそう感じている。でも20年生きてみて、死ねるなら早いうちに死んじゃったほうが良かったかも。これはあくまでも個人的な感想。大丈夫、私は死んだりしないから。

 中学生の頃、自分と同い年の人や年上の人が自殺したり自殺未遂したりするTLを眺めていた。みんななんとなく、光を手に入れられないと知っているようだった。諦めた、ともいえるかもしれないけれど、その諦めを責められる人は誰もいないはず。自分たちより年上の人間がその立場を利用して自分をいいように扱おうとする姿も、家族に否定されることも、何もかもつらさだけが身体に残る。助けてと言って助けられるほど美しい世界なんかじゃないんだよ。好きだった絵を描くあの人はフローリングに自分の血で絵を描いて親しい友達であげていた。アカウントを消してしまったから、もうどこにいるのかも生きているのかも知らないけれど、私はあなたのことが好きでしたすごく大切だった。会ったこともないのに。

 

 私たちは言わないだけで、もうどうしようもないほどの苦しみや痛みを抱えている。私たちはずっと一人ぼっちみたいだった。ずっと孤独の砂漠を抱えている。どれだけ水をやっても、雨が降っても、水たまりひとつできないような砂漠を誰かにみせられるわけでもなく、救いを求めても水すらないときだってある。それでも誰かに縋ったりしていないともう立ち上がりすらできなかった。街灯も昔はあったかも、でも手元のロウソクの火も心もとない。強い風が吹くと消えてしまいそうだった。まっくらで冷えた夜を過ごして、灼熱の避けられない世界で歩みを進める。戻らない日々に感謝して、焦がれて、苦しんで、夢を見ながらその寒さを乗り越えることを、どうして当たり前だというのだろう。孤独を愛することができる世界じゃない。簡単に誰かと繋がることができる世界で、それすらもうまくいかないことに不安になって、焦って、呼吸が浅くなる。君はどこ、と言いたくてもその「君」はどこにいっても見つからない存在なんだってことも私は薄々気づいている。

 

 光が見えてもそれを頼りに歩むこともできない日々で、かすかなともしびだけを抱きしめて息をする。どこにも行けない日々というのは案外、間違っていない。私たちがいけるのは地獄だけなのかもしれない。

 夏の匂いがする、空の青さにのみ込まれて、泡沫に誰かの歌声を聴く。夢でなら会える気がする、もう少しだけ待って。死ぬのは怖いままだ、誰かに置いて行かれるのも、怖いままなんだ、もう少しだけ、あと少し、消えない光はないけど、君を探す光を手に入れてくるから、こんな世界だけど。

光の名前を数えている

音楽、言葉、詩、リズム、振動、温度、色、知識、重み、光度。

機械じゃ伝わらない熱が巡っていくのがわかる時、やっと、「生きていて良かった」と思う。

君が私を捨てること、いつかなかったことにすること、私の名前を忘れること、私の声を忘れること、そう言うことがあると知っている。

君に愛されてなくても光のある世界にいます。これが苦しいと言ってもわかってもらえないかもしれない。期待しない方が失望しなくていいよ。これはこの前映画で学んだこと。

私も魔法でみんなの頭の中から消えてしまいたいね。皆様、さようならと挨拶さえせずにはらりと消えてしまいたい。

君が思い出してくれるかもなんて思いたくないし、誰かが私のことを好きだとも思わない。

どこかで私はその“好き”を、

私のことを「いいように扱っていいだろう」とか「こいつは自分の言うことを聞くから」とか「どうせ女だから」とか、そういう性質やバイアスを持っていて、私を対等に扱う気のないもの

なのだと思っている。特に恋愛の類いに扮した「好き」はタチが悪い、とも。

 

捻くれていて、どうやら元に戻るには宇宙の始まりからやり直した方が早そうだ。宇宙の始まりには戻れないから、宇宙の果てに行く仕事がはやくできたらいいのにと思う。エンデヴァー、まだ生きていますか、わたしはあなたに会いたい。

 

光の名前を唱えている。星の名前を唱えるように。春が来るよ、春が来るかもしれない。

2022-12-12 26時の船乗り

あー、もう、水の中に沈んで、溶けてしまいたい〜終わりにしたい〜全部おわらないかなとか思ってしまう。しんどすぎるでしょ。

福祉の勉強し始めてから、自分の過去と向き合う機会が増えて、それと同時に大量の社会の苦しみまで耳に入るようになる。問題、問題、問題、人権、加害、解決策が簡単に見つかりっこないものばかりで、ずっと重荷背負ってる気分になる。他人の命を尊重するといいながら、同じ授業を受ける誰かは差別する

そういう場所で、簡単にすぐに声が消されてしまうかもしれないと言う気持ちと、本当のことを言ったらこっちもやられるという不安と、立ち直れないくらい毎日やってくる崩れかけの問題の波に耐えきれなくなっている。沈みそう。穴の空いた船で航海なんてできるわけがなかった

今更気づいてももう後戻りできないことに気づいて、沈みかけの船から必死で水をかき出している。それでも土砂降りの雨と荒れた海が船を沈めようとする。一呼吸おいてしまえば、すぐに水に足が浸かる。ずっと濡れた服を着て、風邪を引くことすら許されないままで。

誰も助け舟を出せない。なぜなら周りも同じような状態だから。船が沈みそうになっている。大きくて強い船に乗った、安全な船乗りたちは、俺の乗る船が見えない。その大きな船が通ると、立った波でまた船が揺れる。大きくて安全な船の船乗りたちは朝日を美しいと眺められる余裕がある。

ふとした瞬間にいっそ沈みたいと思う。今もそうだし、多分ここからまたそう思いながら生きていくと思う。どうせこの船に乗り続けなくちゃいけないから。いいな、大きな船に乗る君は。いいな、安全な航海を楽しめる君は。そうやって思ってしまう自分すら馬鹿馬鹿しいし、なんでこんなに、こんなに惨めな

気持ちで生きていかなくちゃいけないだとも思う。そんなに大きなものを求めていたんだろうか。ただ、安心して大学に通いたくて、不安に思わずに朝を迎えて、苦しみが和らぐ日があって欲しくて、そんな日が日々であって欲しかった。学ぶことに真剣でいたかったし、同じような気持ちの人間と一緒に学んで

いたかった。そういう人たちが行く場所が大学だと信じていた自分がそんなにも悪いんだろうかと逃げたくなる。福祉を学ぶ学部で、当たり前みたいに差別を受けたりすると思っていなかった。自分がしないように気を付けて生きていることが、他人にとってそんなにもどうでもいいことだったのかと、福祉を

学んでいく人間なのに。と思ってしまった。福祉なんてどうでもいいと、バカにはわからない話だ、とかそんなことを言われてしまったとき、本当に、どうやってここで生きていこうかと思った。本当に。死にたかった。なんでこんな気持ちにならなくちゃいけないんだろう。

結局こんなふうに考えてるのは多数派からすればノイズでしかないんだとか、そんなこと考えて、また沈む船で手を止めてしまう。

 

12/12 02:41Twitterより。

この世の果てなんか探したくない

 本当はずっとここに留まっていたい、と常々思う。ずっと前から考えている。高校生の頃から。どうせ終わるんだとさっぱりと答えていたけれど、なによりも執着していた。変化にうまく適応できないことを誰よりもわかっていたから。

 

「ともだちいないんですよ〜」なんて言って、僕のことを友達だと思っている人を傷つけ続ける。友達って何って考えすぎなんじゃないの?みたいなこと言われると、本当に、じゃあどうしたらいいんだ、みたいな。そんなに誰も信頼できないままなのに、家族のこととか簡単に言えてしまう。

 オープンな性格だよね、と言われて、「あはは、そうだな、わたし、オープンですよね」と答えるのがすごく得意だ。実際前まで自分はオープンな人間だと信じて疑わなかった。本当にそうだと信じていた。自分は相手に開示しているのに、どうして相手はあんなにも隠し続けるんだろうか、とか無責任に。本当に、最低すぎる。

 

 本当は心から友達だとか声を大にして言いたかった。でも、こんなふうに揺れ続ける自分という存在に対して友達として関係を続けてくれる、命綱を一緒に使うような存在を作るのが怖くて仕方がないのだ。と思う。なにより、周りの望む「友達」であることができないから。

 

 この世の終わりが早くきて欲しいと思った。

 

 世界の果てに行きたい、宇宙の果てに、と常に口にしているし、書いた詩にも時々出てくる。でも本当は世界の真ん中にいたいし、宇宙のど真ん中で好きな音楽を流して、好きな本を読んでいたい。宇宙の果てにひとりでなんていたくないに決まっている。でも、それしかないから、ひっそりと、この宇宙の終わりを一緒に抱きしめるために、宇宙の果てに、この世界の果てに、この世の果てに、行きたいし、いたいのだ。僕はそこで、愛した人間の死を待ちたかった。僕が永遠に行けない場所にいく誰かを眺めて、苦しみをずっと抱えていたかった。それが罰だと思ったし、僕が唯一誰かをずっと傷つけずにいられると、信じて疑わなかった。今も疑わないように、薄氷の上を歩いている。下は、全てを溶かす海だから。落ちてしまえば、僕はきっと死んでしまう。波間に生まれては消える泡のように。泡沫、なんて美しい名前はいらない。ただ、死ぬんだ。宇宙の終わりも知らず、果てを見ないまま。

 

 本当は探したくなんてない。いつか誰かが愛してくれるんだと信じて、湖畔のそよ風を浴びて、好きな本を読みたい。夏の夜に大きなスクリーンを張って、好きな映画を観たい。

 

 何よりも誰よりも、この世界に執着しているんだ、と思う。全ての人間の頬に口付けをする美しい風を、肺に沈めて、オリオン座を眺めた。いつか星になりたい。宇宙の果てで。

 

 

2022/12/12 01:16

 

秋の匂いがしない夜に

 金木犀の匂いがしない。おかしいなと思っていたら、歩く道が変わっていただけだった。

 

 高校生の頃、ギリギリまで眠り込んで、慌てて自転車に飛び乗っていた。秋の始まりの風くらいじゃ冬服はまだ暑くて、すぐに汗をかいていた。

 

 遅刻ギリギリの電車に飛び乗るのが楽しかったのかもしれない。同じことを繰り返す中で、秋の匂いを感じながら自転車で坂道を下ることが何よりも好きだった。空の色が少し透明に感じる寒い季節が好きだった。冷たい風に白シャツとジャンパースカートの裾が大きく揺れるのも、切り揃えた短い髪が勢いよく流れるのも、全てがもう、懐かしい。あの子はもうわたしのことを忘れてしまっただろうか。ほんの少し握った手とか、わたしの足の上に座って大きな声で笑っていたこととか。そういうこと、全部忘れて、新しい場所で新しい誰かと日常を作り始めたみんながいてほしい。早くわたしを忘れてほしい。

 

 坂を下ったままのスピードで走り去る道に何本も植えられていた金木犀の甘い匂いが、昔は好きだった匂いとしてしか受け入れられなかった。高校生の頃から、すでに。銀木犀の方が美しくないですか?と言うと、少しひん曲がった性格がバレてしまう。金木犀は誰からも愛されすぎている。その甘い匂いに隠れて、いつだって。

 寒さに耐え切れなかった今年は、喉も鼻も皮膚も、僕のことを嫌っている。蚊に刺されたくらいで直径3センチくらいの腫れになったりする。献血した日に突然寒くなるの、やめておくれ。おかげで部活の同期から服を借りた。

 

 部活の同期たちがどうしようもなく好きだ。多分。愛してるとか、いつも簡単に言えるから、言ってしまうけれど、多分それは愛していないのかもしれない。うそつき。今夜みんながいる場所で、月が煌々と息づいているだろうか。

 

 わたしのことをわすれてほしい。金木犀の匂いだけを覚えていて、わたしのことは全て、どんな言葉を持って生きていたかも、どんな風に君を愛していたかも、全て忘れてわたしのいない世界で生きていてほしい。

 だって僕はもう秋の匂いがわからないから。君のこともきっと忘れてしまう。君の好きだった歌だけを覚えていて、君の声は忘れてしまう。夜明けの話が好きでした。きみの話が好きでした。そうやってわたしはまたここに来る。痛みの話だけを永遠に吐露する。

 

 生まれ変わったら宇宙の一番端の星になりたい。たくさんの思い出たちとくっついて、熱できみの言葉を溶かして、今まで忘れていた過去まで全部溶かして、新しい星の真ん中にする。

 

 誰かが僕の生まれ変わった星を見て、新しい名前をつけるとしても、僕はきみから呼ばれた名前だけで煌めく。秋にだけ君に呼ばれる星になりたい。僕の星では金木犀の匂いはしない。

 

 新しい秋の匂いにようやく僕のことを思い出すくらいがいい。