一人称が変わります

携えているのは何

2023.10.24-

 昨日、パレスチナイスラエルについての緊急セミナーを受けて、そして先週受けた大学の講義の内容、自分の周りにあるすべてのことについて、なんとなく誰かに話したくなった。

これを書いているのは、誰でもいいから、読んでほしいという気持ちからだ。

 

 昨日、ガザについてのセミナーを受けていたのは、電車の中でだった。となりの会社員のような人は誰かの引退会見を見ていた。スマホ片手にメモを取る自分を異質なもののように見る視線を感じた。ふと顔を上げると、不思議そうにこちらを見ていた人がいた。他人だから、まったく関心を向けられないこともあった。みんなそれぞれに、別のことを考えて生きている、そういう日常の中を通り過ぎていく。

 ふとした瞬間に思い出してはどうしようもなくて泣いて、夜はうまく眠れないような日々を過ごしている自分と、社会は違うんだな、とぼんやり思った。

テレビでガザのニュースが流れるたびに、「燃料が軒並み上がるかもな、困るよ」とか「日本じゃなくてよかった」とか「宗教って怖いな」とか、そういうことを自分よりも年上の大人たちが言っているのを、バイト中にずっと聞いていた。

 

 店長はこう言った。「やっぱり平和なんかじゃないねん、人間は本能的に戦う生き物なんやから。争うのは仕方ない。最近の若者はきれいごとばっかりや、何も現実を知らん」「弱い奴は死んでも仕方ない、弱いんやから」「やっぱり最近の教育が悪いね」

 

 うん、このバイトはやめるつもり。セクシストでレイシストであると言うことは知っていたけれど、ここまで来てしまったら、働きたくないな、と思った。今年中にこのバイトとは別れを告げようと思う。だってその世界では、私は生きられない。私は世界が平和であってほしいとか、何も悪いことをしていない子どもが死んでしまうこと、家族を奪われること、人々が尊厳を奪われることが、許せないし、それは許してはいけないと思う。

 

歩きながら、異質な邪魔なものとしてみる多くの人たちの視線を受けた。ここにいるのがおかしいとでもいいそうな表情でこちらを見る人たち。笑いながら、指さしてくる人たち。私は間違ってなんていないのに、どうして私たちはおかしい存在のようにあつかわれるのだろう。君の家族がそこにいたなら、その家族がなんの罪もないのにただ殺されていく様を、どうしてただじっとして黙っていられると思うのだろう。絶対にそんなことできない。自分たちの生きる世界が、人間を人間として認めない国際社会であることを、絶対に許してはだめだと思う。

 

なぜ歩いているかわかる?人殺しになりたくないからだよ。なぜこんな話をするかわかる?君に人を見殺しにすることをして欲しくないからだよ。