一人称が変わります

秋の匂いがしない夜に

 金木犀の匂いがしない。おかしいなと思っていたら、歩く道が変わっていただけだった。

 

 高校生の頃、ギリギリまで眠り込んで、慌てて自転車に飛び乗っていた。秋の始まりの風くらいじゃ冬服はまだ暑くて、すぐに汗をかいていた。

 

 遅刻ギリギリの電車に飛び乗るのが楽しかったのかもしれない。同じことを繰り返す中で、秋の匂いを感じながら自転車で坂道を下ることが何よりも好きだった。空の色が少し透明に感じる寒い季節が好きだった。冷たい風に白シャツとジャンパースカートの裾が大きく揺れるのも、切り揃えた短い髪が勢いよく流れるのも、全てがもう、懐かしい。あの子はもうわたしのことを忘れてしまっただろうか。ほんの少し握った手とか、わたしの足の上に座って大きな声で笑っていたこととか。そういうこと、全部忘れて、新しい場所で新しい誰かと日常を作り始めたみんながいてほしい。早くわたしを忘れてほしい。

 

 坂を下ったままのスピードで走り去る道に何本も植えられていた金木犀の甘い匂いが、昔は好きだった匂いとしてしか受け入れられなかった。高校生の頃から、すでに。銀木犀の方が美しくないですか?と言うと、少しひん曲がった性格がバレてしまう。金木犀は誰からも愛されすぎている。その甘い匂いに隠れて、いつだって。

 寒さに耐え切れなかった今年は、喉も鼻も皮膚も、僕のことを嫌っている。蚊に刺されたくらいで直径3センチくらいの腫れになったりする。献血した日に突然寒くなるの、やめておくれ。おかげで部活の同期から服を借りた。

 

 部活の同期たちがどうしようもなく好きだ。多分。愛してるとか、いつも簡単に言えるから、言ってしまうけれど、多分それは愛していないのかもしれない。うそつき。今夜みんながいる場所で、月が煌々と息づいているだろうか。

 

 わたしのことをわすれてほしい。金木犀の匂いだけを覚えていて、わたしのことは全て、どんな言葉を持って生きていたかも、どんな風に君を愛していたかも、全て忘れてわたしのいない世界で生きていてほしい。

 だって僕はもう秋の匂いがわからないから。君のこともきっと忘れてしまう。君の好きだった歌だけを覚えていて、君の声は忘れてしまう。夜明けの話が好きでした。きみの話が好きでした。そうやってわたしはまたここに来る。痛みの話だけを永遠に吐露する。

 

 生まれ変わったら宇宙の一番端の星になりたい。たくさんの思い出たちとくっついて、熱できみの言葉を溶かして、今まで忘れていた過去まで全部溶かして、新しい星の真ん中にする。

 

 誰かが僕の生まれ変わった星を見て、新しい名前をつけるとしても、僕はきみから呼ばれた名前だけで煌めく。秋にだけ君に呼ばれる星になりたい。僕の星では金木犀の匂いはしない。

 

 新しい秋の匂いにようやく僕のことを思い出すくらいがいい。